社会福祉の援助における傾聴

社会福祉の援助における傾聴

福祉の援助を考えるときに外せないのが「主体性」です。病院で医師が外科的な手術をしているときには主体は医師にあり、対象が患者ということになります。同じように当てはめると介護をしている人が主体で介護されている人が対象という考え方になるので、援助の主体は介護する側ということになります。しかしよく考えてみると介護はなぜ必要なのでしょうか?それは利用者、入居者が自分の人生を主体的に生きられるようにするために援助するのが介護の役割です。決して、介護をする側が主体ではないのです。


1.援助の現場ではどちらが主体か?

実際に援助をしている老人ホームの現場を見ると利用者、入居者に主体性がどれだけあるでしょうか?決められた時間に起きて、食事の順番を待って、閉鎖的な空間で1日を過ごすことが主体的な生活といえるでしょうか?主体的に生きることが中心で援助を利用するような関係性とは現場の援助を見ているとあまり思えません。

1)援助する側にあわせる

多くの場合、援助する側が忙しく、援助される側は個人的な事情を挟む余地がほとんどありません。それでも毎日一生懸命に介護してくれるからと文句を言わずにそのリズムにただただ合わせているのが現状です。つまり、援助する側が主体で援助される人は援助する人に合わせて生きているのです。

2)傾聴をしてみると

老人ホームなどで傾聴を行うと必ず出てくるのが「我慢している」「気を使っている」という言葉です。援助で本来あるべき、主体的な人生の援助というスタイルが崩れ、援助のための人生になっていることを多くの利用者は言い出せずにいます。

3)傾聴してしまうことの問題

安易に傾聴をしてしまうとそのような話を引き出してしまうことがあります。今まで我慢していたものを口にしてしまうと「外出したい」「料理がしたい」いろいろな話が出てきます。それでは運営側が困ってしまいます。実際に老人ホームで入居者が料理をして食べるイベントをするにはさまざまな許可、検便など数多くのチェック事項をクリアしないとできないので、自宅で気軽に自己責任で料理をするようにはいかないのです。

 


2.援助側の主体性

逆に援助する側には主体性がなく、利用者が自分の思うように利用すれば良いのでしょうか?実はそうでもありません。援助する側には行動規範があり、意図や目的があります。それに従って、援助を行っているわけですので、主体性を持たないということではありません。これは1.で述べた利用者・入居者の主体的人生と相反する考え方でしょうか?

 


3.相互主体的な関係と傾聴

ここまで話を整理してくると援助というのはどちらかが主体でどちらかが対象ということでもないことがわかります。それぞれに主体的に動くべきテーマがあり、それらがうまくかみ合うように疎通する必要があります。これはある意味で自立した人同士では当たり前のことですが、依存性の高い現代の日本の社会においては自立と自立がうまくかみ合うというニュアンスが直感的に理解しにくい人もいるかもしれません。

1)援助する側される側の距離

援助する人が描いている援助のイメージと援助される側のイメージにはだいぶ開きがあります。ほとんどの福祉施設では援助する側が枠組みを作り、援助される側がその中で自由にするけれど、お互いにそれで満足しているわけではないようです。この表現されない距離を埋めないと相互主体的な関係にはなりません。

2)傾聴の必要性(管理職と現場スタッフ)

多くの現場で見られるのが管理職と現場の温度差です。実際に援助を行っている人の立場から見ると「こうしてあげたい」「こんなことを希望していた」と援助する側とされる側での疎通の上での提案のタネのようなものは存在しています。一方で管理職の経営の観点や安全、衛生などの観点ではそれを簡単に叶えるわけにはいかない事情があります。傾聴を通して、お互いの立場の違い、「どうやったら実現できるのか」を協力して話し合うことができると実は管理職と現場は同じことを言っていたことがわかります。お互いにより良いサービスを提供したいと思っているのです。

3)傾聴の必要性(援助する側される側)

普段援助されている人は気を使ってなかなか本音を言ってくれません。傾聴を通して、本音を聞き出し、それを管理職、現場スタッフが実現に向けて努力する。それがひとつでも叶い始めるとまず現場スタッフの顔が変わります。本来の援助の喜びを実感できるようになるからです。そして、援助されている人が主体性を取り戻します。今までは余計な仕事を増やすと申し訳ないと大人しくしていた人たちが主体的に自分の人生を生きようとするのです。こうなると施設に活気が出てきます。傾聴をする人は初めは噛み合わないだろうと思われるような立場の違う人の話を徹底的に傾聴して、その背後にある想いまでしっかりと聴けるとそれぞれの意見の共通点が見えてきます。そこに到達してからそれぞれの意見を相手が受け入れやすいように伝えていくと組織が変わります。

 


4.介護施設にプロを入れる試み

介護施設に傾聴ボランティアを招いて話を聞いてもらう。という取り組みをしている施設は多いですが、しっかりと予算を割いて、カウンセリングのプロを雇用して、傾聴をしている施設はあまりありません。プロの心理カウンセラーが傾聴をすると本音が引き出せるだけでなく、自分の人生の1秒をもっと大事にしようと管理職も現場スタッフも利用者も思うので全員が主体的に動き始めます。今まで気を使ったり、人に押し付けてやらなかったことを奪い合うようにやり始めるので活気が出てきます。

介護施設にプロの傾聴担当者が必ずいるような社会を作ろうと思っていますので、興味がある方がお問い合わせください。

 

6件のコメント

  1. 最近では傾聴ボランティアさんや読み聞かせ、手芸…様々な形でかかわってくださろうとする動きもあり温かい気持ちになりますが、一方でボランティアさんの一方的な思いから現場スタッフの意向にあわなかったり、親切で手助けくださること事が事故の危険につながったりと問題も色々あります。ボランティアする側も何かしたいという思いから一歩先に進み、スキルを少しでも身につけて介護知識や傾聴上手な方々が増えてお手伝いくださると介護施設の雰囲気もかわっていくかもしれないと感じました。

  2. 若者言葉の卍は、固定の感情ではなく、何かしらの感情の動きの表現だというお話、ささりました。
    認知症の母の反応もこれと同じなのだと。

    「私が死んだあと、ちゃんとお墓参りをしてくれる?約束して。」いつも母は繰り返します。
    私は毎回、「ちゃんと行くからね!」と、約束しますが、繰り返しにうんざり。時には叱ってしまい、どんより気分で帰宅するのがよくあるパターンです。

    いくら私が誠実に真剣に約束しても、母の気持ちが落ち着かない限りは、母はコレを言い続けるのだと思いました。終末の近づいてきた自分の人生に対する漠然とした不安、思い通りにならない日常生活への不満の感情表現が、「お墓参りしてくれる?(=卍)」なんだと思いました。

    私は、約束をするだけではなく、母の中に恒常的にしかも猛スピードで渦巻いている不安や不満の感情を傾聴を通して感じとる。その共感が母に伝わるように心がければ良いのですね。

    「この話をすると喜ぶパターン」もみつけていこうと思います!

    1. セーラさん、コメントありがとうございます。
      卍は若者しか使わないものかと思っていましたが、お母さまのお気持ちも卍かもしれませんね。
      お母さまご自身に起こっている、しかしご自身では思い通りにならない、言葉にならない思いが卍で表されるんですね。

      このコメントを拝読しているだけで、セーラさんがお母さまを思いやっていることが、深く深く胸にしみてきます。
      セーラさんのお気持ちや共感がお母さまに伝わることをお祈りしております。

      「この話をすると喜ぶパターン」も見つけたら、差し支えない範囲で教えてもらえるととても嬉しいです。

    2. 小林 やす子 さま

      返信ありがとうございます😊

      喜ぶパターンも発見していきます!
      繰り返される反応や表情などに注目ですね。

      「お墓参りしてくれる?約束して」と言う母の卍言葉のもとの感情が、少しでも明るさや自尊心を伴う
      ものになるといいなと思います。

    3. 是非!
      明るさや自尊心を伴うものになるといいですね。
      応援してます(*’ω’*)

  3. 学校でも同じような葛藤を抱えています。生徒にもっと主体的になってほしいけれども、
    自由な活動がしづらい仕組みがあります。
    うんうんうなづきながら記事を拝読しました。
    スタッフと利用者の間を繋いでくれる役割がカウンセラーなんですね。

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