傾聴は成長につながらないと

傾聴を学んでいる人たちと関わっていると2つの違和感を感じます。

1.相手不在で傾聴に専念

例えば、コンビニで初めてバイトをするときには「いらっしゃいませ・・・」というセリフを声に出すだけで精一杯です。そうなると(いらっしゃってくれて本当にありがたい)という気持ちや(あなたに今、気持ちを伝えています)という感覚がなくなり、ただただ正しいとされている「いらっしゃいませ・・・」を発音するようになります。

もちろんそれは相手に伝わりますから「ああ、口だけでマニュアル言っているな」と感じます。コンビニはマニュアルの社会ですからお客さんもそれほど気持ちを込めることを望んではいないかもしれないので良いとして、、、

傾聴に興味があります

傾聴を学ぶと「うなづけば良い」のようなマニュアルに意識が入ってしまって、相手を無視してたくさんうなづいたり、わざとらしい相槌をうったりします。そういう人は「傾聴」に興味があるのであって、相手には興味がありません。

それは傾聴をする際の障害になります。

いいかえると「本末転倒」です。

相手に興味があります

本気で人と関わったときには自然と誠実さや必死さがにじみ出ます。相手はそれをキャッチして、「あ!しっかり受け止めてくれているな」と思うのです。それを受容と呼びます。

さらにしっかり受け止め続けていれば、相手の主観的な世界観の中での感動や困りごとを追体験することができます。何も構えることなく「ああ!!それは大変だ!」と共感することができるのです。

傾聴に興味がある人は受容したふりをして、傾聴のマニュアルに興味があり、共感しているふりをするので結果として傾聴がうまくできません。

2.我慢することができるかどうか?

2つ目の違和感が「我慢」です。傾聴をしていて、私は「我慢しているな」と感じることはありません。相手の世界観に入り込んでいるからです。

興味がある映画を我慢してみない

興味がある映画を映画館で見るとしたら、映画監督が思うように作り上げた映像やストーリーを黙って楽しみますよね。「私の場合はこうだ」とか「こうしたほうが良いんじゃないか」という考えはでてきません。ただただ、その世界を楽しみます。

我慢するということは

我慢をするということは会話をする前や序盤から「私は違う価値観である」「それは間違っていると思う」「それは視野が狭い」「そのやり方では失敗する」のような別の考えを用意しているということになります。

そんなものを頭にセットした状態で傾聴をするのは「粗探し」「批評」を使用と思って映画を見るようなものです。そんな観点では相手が伝えたいメッセージが理解できるはずはありません。

SNSの弊害

最近は同じ考え方の人がSNSで塊になることが増えています。どんなに価値観が偏っていてもそれに近い意見の人をSNS上で見つけることができます。その人たちと「そうだそうだ!」と盛り上がっていれば、傷つくことも自分の考えを改めることもありません。すごく楽です。

しかし、そういう生活に慣れているとそのコミュニティの外側にいる人の意見がひどく間違っているように聞こえるものです。そんな偏った状態で傾聴をすれば相手の意見は1%以下のマイノリティのようにも感じるかもしれません。しかし、実際には傾聴する側が1%の人としか関わっていないのかもしれないのです。

3.傾聴は成長につながる

傾聴をすることは自分とは全く違う価値観、世界観、観点の人の脳内を除くことに似ています。そして、傾聴を通して、自分の価値観、世界観、観点に加えて、相手の価値観、世界観、観点を得て、視野が二倍になります。それが傾聴の本質です。

30歳の人と30歳の人が話をしたとしたらどんな人生を歩んできた人であってもそれぞれの30年分の道があります。その道がどんな道でも価値は同じです。

「自分の通って来た道ではこうだったけれど、あちら側の道はこうなっているんだな」と学ぶことが必ずあります。それをありがたいと思えると傾聴の質が変わります。

残念なことにスキルだけで傾聴を学んでいる人は「うなづけばよい」のような小手先ばかりに目がいっているので、かえって相手を置き去りにし、自分の価値観を押し付けてしまいます。傾聴の本質はお互いの成長です。話をすればするほど世界が広がって、自分が通ったことがない人生の道を垣間見ることができるのです。

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