傾聴は必要ない

傾聴は必要ない

傾聴講座を教えていて、「傾聴は必要ない」というのもなんですが、、、人との関わり方を極めていくと必ずしも傾聴が必要とは限りません。傾聴が情報収集だと思っている人はヒヤリングや事情聴取がなくならないように「傾聴は必須」と考えると思いますが、その逆の観点からまとめてみました。

1.傾聴がカタルシスのためなら

傾聴とはカタルシスを目指すものだとしたら、傾聴は必要ないともいえます。カタルシスはもともとは演劇を見た人が感情を揺り動かされて、精神的な浄化作用が起きることを意味しています。傾聴のように1:1で話し手が中心にならないとカタルシスが起きないことはないのです。映画や演劇、コンサートで心を揺さぶられた時や講演会を聞きに行ったり、誰かの話を傾聴している時にもカタルシスは起きます。

傾聴の目的がもしカタルシスならば、場合によっては傾聴は必要ないと言えます。

 

2.傾聴が共感のためなら

1:1で「聴き手」「話し手」とわかれて傾聴をしなくても共感は起きます。一生懸命にスポーツや仕事などに取り組んでともに喜び、ともに泣くことは共感以外の何物でもありません。つまり、日常生活で人と関わりを大事にするだけで共感できる場面はたくさん出てきます。自分は自分。他人は他人という日常生活をしていると共感が少ないかもしれませんが、人の喜びを喜び、自分の喜びも分かち合うようにしていると傾聴は必要ありません。

逆に今の特に都会では個人主義、個人行動が多くなり、共感する場面が減っています。その影響で役割として傾聴のニーズが増えているとも言えます。学校や福祉施設などでは人の関わり方次第で感情の共有、共感が特別なものではなくなります。

 

3.傾聴と必要としない心理療法

心理療法の中にはコンテントフリー(話の中身に関係ない)のアプローチがあります。人は会議室で悩むのと富士山の山頂で悩むのでは悩み方が変わります。それは話の中身に関係がありません。ある種の心理療法は身体の感覚や匂い、視覚的な刺激を変えるなど話題に関係なく効果を出そうとするものもあります。コンテントフリーアプローチでは傾聴をしないので守秘義務を守りやすかったり、子供が大人をサポートするなどのアプローチも可能になります。「聴く」「理解する」ことの効果も大事な一方で「聴かない」「理解しない」からこそ役に立つこともあるのです。

 

4.「傾聴は必要ない」という人

傾聴を使わなくても必要な結果にたどり着くことができます。しかし、多くの人は理解することが面倒なので「傾聴が必要ないのでは?」と言っています。傾聴の目的は「話し手のチカラを回復させたり、増すこと」です。

「不登校を解消するために」「部下のモチベーションを高めるために」のように別の目的のために傾聴を利用しようとしているとやりたいのは「学校に行かせる」ことだったり「仕事をしてもらう」ことなので傾聴が煩わしくなります。

傾聴によって不登校が解消したり、モチベーションが高まるのではありません。傾聴をすることでその人がチカラを取り戻し、その結果として学校に行けたり、仕事への意欲が高まります。「傾聴によってその人がチカラを発揮できるようにしよう!そうすれば問題は自ずと解消していくはず!」と考えられると傾聴には大きな役割があります。「傾聴を問題解消に使おう」とすると「傾聴が必要ない」という発想にもなってしまいます。

相手を思い通りに動かすためには交渉術が良いかもしれません。
傾聴は相手のチカラを回復させて、相手が動きたい方向に進めるようにすることです。聴き手の意図が入る余地がありません。この違いを理解していると傾聴のやり方も変わってくるかもしれません。

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