傾聴と認知症ケア(介護)

傾聴と認知症ケア(介護)

「2025年問題」という言葉をご存知でしょうか? 介護に関わっている方には馴染み深い言葉ですが、一般的には知らない方もまだまだ多いかもしれません。端的に説明をすると、2025年には団塊の世代の方々が後期高齢者(75歳以上)となり、日本の人口のうち5分の1が後期高齢者、3分の1が高齢者(65歳以上)となります。そして、10人に1人は認知症になってしまうとまで言われています。これによって起こる様々な問題を「2025年問題」と呼びます。

今後、認知症の方を施設や専門家だけでなく、街で暮らす一人一人が協力しながら見守っていかなければならない世の中がやってきます。その為に傾聴は必要不可欠となるでしょう。

1.どうして傾聴が必要なのか?

認知症にも様々な症状がありますが、全ての方に共通するのは記憶が短期的にしか保持出来なくなるという事です。もし、記憶すると事が出来なくなってしまったらどう思うでしょうか?

朝だと思っていたら夜だったり、

外に出て自分の家が分からなくなって帰る事が出来なくなってしまったり、

無いと思って買って来た物が、家にたくさんあったり、

そのような事が起こったら、どんな気持ちがするでしょうか? 少しイメージするだけでも、とても怖く、不安な気持ちになると思います。そういう時、どのような方が居てくれたら良いでしょうか?

「何こんな時間に起きて。まだ、夜でしょ!」

「何で自分の家に帰る事も出来ないの?」

「また、同じ物を買ってきて!」

このような事を言われてしまったら、とても傷ついてしまいますね。もし自分だったらとイメージすると、そっと寄り添ってくれる人が居て欲しいと思います。自分の事を思って、ただ側で共に居てくれるような人が。

認知症になっても感情は残りますし、より鋭敏になるとも言われています。認知症の方は町中に多く居るけれど、理解してくれる人はほとんどいない。そのような事になれば、多くの場面でトラブルが多発し、理解が無い事がよりその状況を悪化させます。自分が認知症になって道で困ってしまった時、「ああ、この人は助けてくれそうだな」「ホッと出来るな」と思える人が町中に居てくれる世の中になれば、安心して過ごす事が出来るのでは無いかと思います。認知症を理解する事、そのような人になる事は、思い次第で誰でも可能です。

2.認知症の方への傾聴

認知症の症状が比較的軽い方には、このサイトの記事でも書かれている傾聴で良いかと思います。しかし、より重度の認知症の方や、そこに加えて感情の揺れがある方には、出来ない場合もあるでしょう。これは私自身の経験や思いから来るものですので、一般的な傾聴とは異なるかもしれません。

そのような方に接する時、一番大事なのは「共にいる感覚」だと思います。認知症の方の中には、話している事が理解出来ない事もありますし、話している方自身も分からなくなっている事もあるように思います。そのような方に接する時、そこに言葉は必要無いかもしれません。

「良く分からないけど、私の事を思って同じ方向を見てくれている」

と感じてもらえるような在り方であり、関わりしか無いのではと感じる事があります。

もしかしたら、低い次元での「共感的理解」もそこには無いかもしれません。

「私の事は理解出来る訳はない」と互いに了解した上で、理解する事に力を注ぐのでは無く、ただひたすらに心の平安を側で祈り、表情で、態度で、雰囲気でそれを伝える事。それも一つの傾聴の在り方では無いかと思います。

表現が抽象的になってしまいましたが、何かを感じて頂けたら嬉しく思います。ご意見、ご感想などありましたらよろしくお願いします。

2件のコメント

  1. 認知症の人も不安を感じるし、傷ついているってことを改めて考えさせられました。
    「共にいる」という感覚を持つ人が1人いてくれるだけでその人の人生が救われると言ってもいいくらいだと思います。

    1. コメントありがとうございます。介護の仕事を始めた当初は「認知症の人」という見方をしていました。ですが、あくまでも「人」が先にあるんですね。人に認知症がくっついているだけで、本質的には何ら変わりはありません。
      多くの方にとって、孤独はとても辛いものですよね。遺伝子に組み込まれているとも思います。「共にいる」感覚を共有できる方が増える事を切に願っています。

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