学校における心のケアに足りないもの

学校における心のケアに足りないもの

学校は、子供たちが集まるコミュニティです。1つの社会です。
楽しいこと、平穏無事なことばかりではなく、軋轢が生まれたり、災害や事件などでショックを受けたりと、心に大きな傷を負う可能性がある場でもあるのです。
そして、その時どきで適切なケアを受けられないことは、大変危険なことです。
コミュニケーションに自信が持てない、人との関わりを上手く持てない、
そのまま苦しい想いを抱え続けたまま、大人になってしまいます。
子供たちのために、傾聴をどう生かせるでしょうか。

 

1、個別の世界観を持つ1人の人間として

学校は、同世代の子供たちが一同に集まるコミュニティですが、
様々な子供がいて、それぞれの子供にそれぞれの家庭環境があります。
みな考え方も違えば成長の仕方も違います。
ケアする際には、目の前の子供が何を抱えているのか、どんな世界観の中で生きているのか
丁寧に寄り添って傾聴する必要があります。
ケアは一般に、「ストレスの原因」と反対のことをすること良いと言われます。
机に座って長時間勉強ばかりしてストレスがたまったら、運動をする。
大勢の人で騒ぐような場に疲れたら、1人静かな場所で落ち着く。
ただ、これらはあくまで一般論です。
その子に本当にあったケアは、傾聴して初めて分かるものがあります。
勉強が長引くのは、効率が悪くて宿題が終わらないからかもしれません。
だとしたら、運動していてもやり残した宿題が気になって楽しめないでしょう。
短時間で済む勉強の仕方を教える必要があります。

 

2、変化に気づくだけでは足りない。

ケアにおいて大切なのは「変化に気づくこと」だと言われます。
いつも活発な子が暗い表情をしている。
病気がちになる。
成績が落ちる。
変化は様々なところで見ることができます。
「気づく」ことは出来るでしょう。

問題は、「ケアに繋げられるか」です。
気軽に「どうしたの?」と聴ける関係性を
先生をはじめとした大人が持つことが求められます。

かといって、1クラス数十人の生徒を受け持つ担任に押し付けてよいのでしょうか。
毎日何時間もの授業を行い成績管理を行う他に、
1人1人を傾聴するだけの余力があるでしょうか。

3、コミュニティの中で

私たちが無料で傾聴の情報を公開し、練習会を無料で開催しているのは、
多くの人に傾聴を使って欲しいという想いからです。
子供は、家庭、塾、習い事、多くの場所で大人と関わる機会を持ちます。
全員がケアに関わることは難しいかもしれませんが、
ただ、その中で誰か1人でも、ケアが必要な子供の気持ちを深くまで聴くことができれば、
その子供がいま、抱えている苦しみ、悲しみ、怒りを和らげることができるかもしれません。
前向きに日々を過ごすことができ、未来を大きく変えることが出来るかもしれません。

学校が全て責任を負うには限界があります。
傾聴を出来る人が地域コミュニティに必要です。
傾聴を出来る人が、心のケアを必要とする子供に行き届く環境づくりが求められます。
このサイトが、子供の明るい未来に繋がることを切に願います。

6件のコメント

  1. 学校は、どうしても集団の場で、勉強や社会のルールを学ぶ場だから、いい悪いという尺度ができて、その物差しで子供を見がち。。。。先生も大人数の子供をフォローしきれないだろうし、先生自体が、先生集団に適応しながら、動く傾向になるだろうから、良い悪いも同じ尺度になりがちだろうな。。。
    子供が人とのつながりを持つ場所って、学校や家以外にも、習い事や野球やサッカークラブだったり、駄菓子屋さん、近所の人とかいろんな場があるから、どっかで、誰かと繋がり、見てもらえてる嬉しいとか自分をわかってもらえる感が持てるとイキイキしてくるだろうね😊
    こんな感じって、大人も同じだと思う。職場以外の場所必要とか。。
    大人の方が、自分で決めれるからいいけど。。

  2. 「学校」「足りない」という言葉から、学校批判なのかなーと思っていたのですが、そうではなく、学校だけでなくどの大人もという主旨なのかなと思って読ませていただきました 📝 よろしかったでしょうか

    そして、私は、さらに願います 「学校」であるならば、どうか、子どもたち同士がお互いを大切に思い、「ケア」できるような、そんな体験をしてほしいなと思います 🏫
    子どもたち同士の社会は意外に残酷です 例えば、歩くことができないお友達に、悪気なく「どうして歩けないの?」と聞いたりします 正直なんですよね🌱 でも、そのお友達を何気なく支えてくれるのも、一緒にできる方法を見つけてくれるのも子どもなのです❗️ 大人には思いつかないようなすごいアイディアを見つけくれるのです わたしは、それは、とてもすてきな「ケア」のカタチだと思います🧚‍♀️
    そんな体験をたくさん積んだ子どもたちが大人になって、社会を作っていってほしいのです きっと社会を変えていくことができます 子どもたちは、希望です✨
    そのために、私たちは、どんな大人であればいいのか、どんなふうに子どもたちにかかわればいいのか そんなふうに、大人である自分自身を振り返ってみたいなと思います🌼

  3. 「子どもは、家庭、塾、習い事、多くの場所で大人と関わる機会を持ちます。全員がケアに関わることは難しいかもしれませんが、ただ、その中で誰か1人でも、ケアが必要な子どもの気持ちを深くまで聴くことができれば、その子どもがいま、抱えている苦しみ、悲しみ、怒りを和らげることができるかもしれません。」

    このくだりに救われました。

    どうしても「学校が」とか「家庭が」とか特定の場所でのシステムの在り方や、体制づくりなどが議論になり、日頃、理想論にすぎるな。。と思っていました。

    要は、困っている子どもを助けられる大人が一人でもその子の接する大人の中に居るか居ないかが大事なんだと。

    そしてそう考えることで、自分の役割が狭いものから広いものへと何か変わったような気がしました。
    子どもと触れ合いたい、子どもの辛い苦しい顔を見たくない、と思っても、どこかの組織に属さなければ、何もすることができないのかと思っていましたが、そんなことはない!いつでもどんな機会でも、どんな縁でこの弱き誰か特定の「子ども」を助けるようなことが起こり得るかもしれない。
    そう考えると、やはり、全てに無駄なことはなく、日々の生活の中で、そういった機会の可能性を意識して過ごすことも十分に大切なことだなと。

    特定の「子ども」と関わることで、出口の見えなかったその子が、
    「前向きに日々を過ごすことができ、未来を大きく変えることが出来るかもしれません。」
    そんな機会にもし立ち会うことができたなら、また一つ自分の今生における命を大事に使うことができたなと思えるのかもしれません!^_^

    1. かずさんへ
      コメントを読ませていただき、かずさんの子どもたちへの優しい思いを感じました🧚‍♀️ そして、「縁」という言葉も印象に残りました 「縁」あって会うべくして出会う子どもたちが、幸せな未来に向かっていけるといいですね🌼

    2. たんぽぽ ちえさんへ

      いつもありがとうございます。子どもと関わりのほとんどない仕事をしていますが、やはり好きなんですかね。。
      先日も一緒にコーラス活動をしている友人の保育士に誘われて、お誕生日会の一コマで歌ってきましたが、終わった後になんか関わりたくて、遊んで!オーラを出してたら乱暴な男の子たちに気づかれ、ボコボコにされてしまいました(笑)
      余談はさておき、ちえさんのコメントで、期せずして「縁」という言葉を使っていたことに自分でも気づきました。
      ずっと、どこかに無理してでも所属しなければ、機会というのは得られないのでは?と色々なことで思ってきたことがあり、そうして所属しても、どこかに無理があって、疲弊してしまうことがありました。
      でも、最近は、そうではなく、想いや気持ちに正直に、何かを、頭ではなく、心深くに学んだり身につけたりすることで、自然と準備が整い、そういった場面に出くわしたりすることが多くなってきました。
      ここでの学びもそうです。
      そして、欲張りかもしれませんが、特定の誰かのためと思いつつ、結局は回り回って、自分自身も幸せな未来に向かっていけたらなあとも思っています!^_^

  4. 学校教育の中でも傾聴はぜひ広まって欲しいですね。時代もあるかもしれませんが、当時は傾聴をしてもらったような感覚は一切無かったように思います。

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