傾聴対談:裁判官にとっての「聴く」こととは

坂本倫城さん
元裁判官。約40年近く裁判官として奉職し,主として民事裁判を担当。主なものに原爆症認定申請却下処分取消請求事件、中国残留孤児の国家賠償請求事件などを担当。H26.8退官。


岩村 剛
日本心理療法協会カウンセラー。禅の修行に取り組む傍らビジョントレーナー、カウンセラー、コミュニケーション講師として活動している。
​岩村剛サイト】Rockvillage.site


1.裁判官という仕事について

岩村:裁判官暦として40年の経験を持つ坂本さんですが、お仕事の中でどういった部分を意識して取り組まれてきたか伺えますか?

坂本:私は民事を担当してきた身なので、原告と被告の双方の言い分を聞いていくわけですが、ひらたく言うと、まずは原告の話を聴きつつ原告の立場に身を置いてみる。そして被告の立場の話を聴 きつつ被告の立場に身を置いてみる。そして最後に原告でも被告でもない、中立な立場に身をおいてみる。この3点の立場に身をおいて考察することを重視して取り組んできました。

岩村:なるほど。3つの視点に立って考えていくわけですね。その中で気をつけている点や苦労する点など伺えますか?

坂本:ええ。民事事件・刑事事件・家事や少年事件のいずれかを問わず、裁判所に持ち込まれる事件の当事者はどんな人であっても事件に巻き込まれたら人の性として誠にやむを得ないことではあ るのですが,自己の利益や要求を守るためにまた自己の主張を通すために他人を顧みることなく、死に物狂いで他人と争って非難し口を極めて罵り合うことも多いのも実情で、そのために虚偽の 主張をすることもあります。そういうこともあって正反対の矛盾する証拠が提出されることも多 いんですね。当事者の主張や供述の裏にある虚偽と真実を見抜いて、利己的な思慮や欲望に支配された言葉と、真に救済されるべき真実の言葉とを正しく識別して、真に救済されるべき人を救済していくことが肝要なんですが、このことは実に困難なことであって、裁判に課せられた永遠の課題であるといえますね。

またそこまでいかなくても事件や紛争の当事者は、やむを得ないことではあるのですが多かれ少なかれ自己の物の見方に囚われ、たとえそれが誤解であっても自己の考え方に固執して他人 の言葉に耳を傾けないことや、あるいは追い詰められて聞く耳が持てなくなっていることも多い んです。

こういった事件の当事者のあり方は、多くの場合にはまさに心の病を患い悩み苦しむ病人に似 ているといえるかと思います。裁判の審理を通じて真実を明らかにして、紛争の相手方の立場 にも思いを巡らせることができるように助力して、相手方の考えをわずかなりとも理解してもらい相手方の立場にも配慮して物事を考えることができるような方向に進めていくことが裁判官 の大切なところになりますね。

岩村:対立する者同士にそれぞれの理解を求めるわけですね。

坂本:相手方に対する誤解を解き感情を鎮めて、自己の考えの至らなかった点にも気付いてもらい、 冷静に物事を見つめ、寛容さと賢明さを喚起することによって紛争当事者が相互に自己の立場と同様に少しでも相手方の立場を理解することができるようになれば、自然に多くの紛争は収拾に向かっていきます。

岩村:そういうものですか。なかなか難しい気がしますが。

坂本:ええ。そのような縁に恵まれずどうしても紛争当事者が自我に執着して納得せず、裁判所の説得にも耳を貸さないような場合にはやむをえません、苦渋の決断であっても法律に従って判決という判断を下さざるを得ないですね。その時にはまさに涙を呑みながら苦渋の選択を行わなければなりません。法と良心に則って判決を下して、金銭の支払を命じたり、場合により離婚や物 の引渡し、刑事であれば刑務所に入ってもらうことを決定せざるを得ないことにもなるわけです。

このように裁判においては、厳しく対立する事件の当事者の間に身を置きつつ日々人や事件との真剣勝負をしなければなりません。あらゆる予断と偏見、一切の構えを捨てて己を空しくして人や事件に立ち向かい、事件の当事者をあるがままに受け入れ受容した上で法に従った適正迅速な解決を図っていくわけでありますが、解決の方向は上記のようにあくまでもその人を罰するのではなく、その人を大きく生かしていくことが根本であると思っております。

偏狭な自我に囚われている事件の当事者のしがらみを解き放ち、正しい物の見方に気付き目を覚 醒することができないかと念じながらその人が元々持っている自然治癒力を生かす方向を目指し、人は皆本来のあるべき姿に目覚めれば自ずから然るべきあるべき姿に帰って行くものであろうと信じながら仕事を行ってきた次第であります。

そしてその際に私自身の心中に一片たりとも私心や邪心が入っているとそのことによって私 自身が押し潰されて到底この裁判の仕事を継続していくことには耐えられなかったと思います。

岩村:カウンセリングに通じるものを感じますね。

坂本:ええ、私もそう思います。

2. 正義の女神の像


坂本:岩村さんは目隠しをした正義の女神像をご存知ですか?

岩村:いえ、知りません。

坂本:正義の女神の像は,世界中の裁判所,弁護士会や大学などで見ることができます。この女神は Lady Justiceとかユースティティアあるいはテミスなどと呼ばれ、剣と天秤を持ち目隠しをして おり、剣は「力」を天秤は「正義」を象徴し,目隠しは元々は女神がその「前に立つ者の顔を見ない」こ とを示していて、相手が王様であろうが大金持ちであろうが、貧しい農民や年老いたお年寄りであ ろうが、「法は貧富や権力の有無に関わらず万人に等しく適用される」という法の下の平等の法理念 を表すものであると言われていますが、それだけに限らず「真実を見るためには自我の目を閉じよ」というメッセージであると解釈することも十分に可能であろうと思います。

岩村:「真実を見るためには自我の目を閉じよ」か。自我の目とは個人的な価値観や世界観のことですね。

3.複眼的思考

坂本:それから法律の世界においては法の下の平等の理念と並んで「真実を発見し正しい事実に基づいて適正な法的解決を図る」ということも最も基本的で重要な理念です。そして真実を発見し 適正な裁判を行うためには「複眼的思考の習癖」を身に付けることが肝要であると言われています。

岩村:複眼的思考ですか。

坂本:複眼的思考は、法律家は裁判官であれ検察官・弁護士であれ、先ず第一に当事者や依頼者という特定の他者の利害及び関心を理解しなければならずそのためには、いわばその者の立場に 自らを置き、事物をそこから見るという心の働き、即ち共感的理解が必要でありこれが複眼的思考の最初の第1歩となります。

これにより相手を受け止め受容することになり、当事者から本当の話が聞ける、本音が聞けるということにつながってまいります。このような良好な人間関係・信頼関係ができると,裁判官な ら事件の解決は容易になり和解しやすく・控訴は少なくなり,弁護士なら当事者が信頼してすべ てを任してくれるようになり、検察官なら被疑者が自白してくれるといった効果も期待できるようになります。

岩村:まさしくカウンセリングにおける「傾聴」の部分ですね。

坂本:ええ。カウンセリング的な効果ともいえます。そして裁判では当事者が少なくとも二名はいますから(原告と被告、検察官と弁護士)対立する相手方当事者に対しても同様の共感的理解を示す必 要があります。しかしながら裁判官はそこからさらに進んで、両当事者のいずれの個別的な立場 にもとらわれない独立の立場から法的な判断を下さなければなりませんから、次に第二番目には、この共感的理解を基礎にしながら法的観点と結合させるための熟慮の過程、即ち共感的理解と法的観点を調整する過程に進まなければなりません。

つまり裁判官は両当事者への共感の立場及びこれらを超越する法的観点の立場という、共感と超越の二つの立場を併せ持つとともにこの両者の間の緊張に耐え、これを調整する思慮深さや賢明 さといった能力を持つことを要求されます。

例えば、原告が主張していることは証拠上は認めることは無理であるが、そのまま請求を棄却してしまうのは余りに原告に酷であり、原告は社会的に救済されなければ余りにもおかしいような 場合には、裁判所は他のあらゆる法的構成を徹底的に研究して事件の落ち着きの良さを考えて、当事者に他の法律構成や立証を促し、場合によっては和解による社会的に妥当な解決の実現を図っていきます。
このような複眼的思考の習癖を身につけることこそが法律家の素養の基礎であるといわれています。

このような物事にとらわれない複眼的思考を持って、両当事者に対する共感的理解と法的観点の間を繰り返し往復しながら、これらを調整しつつこれらを統合する最適解を発見していくこと が必要であり、このように両当事者に不即不離でありながら、同時に社会的に相当な法的観点をも満たす最も適正な解決を目指さなければならないわけであります。

こういった当事者を完全に受容しながらも当事者から自由でかつ法的観点をも満足させる柔軟な複眼的思考を養っていくには、法律的な訓練と経験を積むことは当然として、さらに自我を抑えてあらゆる予断と偏見や一切の構えを捨て己を空しくした上で、強い集中力を持ってただ観るという態度が重要であり、対象と一体・一枚になり切ることによってそこから自ずから湧き上がっ てくる智慧の光によって対象を明るく照らしていくことが大切であると感じています。

岩村:裁判官という仕事においても「傾聴」はとても重要だということですね。 また複眼的思考のお話、とても参考になりました。

4.裁判官にとっての「聴く」こととは

岩村:最後に、裁判官であった坂本さんにとっての「聴く」ことについて伺えますか?

坂本:鈴木大拙の本に「あたかも二面の汚れのない鏡がたがいに照らし合うように事実とわれわれ自身の心とが間に何らの媒介物も入れずに相対さねばならない、このことがなるときわれわれは鼓動する生きた事実そのものを捉えることができる」とあるんですね。
これはつまり、二枚の明鏡が相対してまさしくギラリと照らし合うことによって完全に一体となり、リアルな真実を捉えることができるが、そのことに全く囚われることなく二枚の鏡が離れていけば、互いに何らの一点の痕跡も残さずに別の対象を写していく。といったことではないでしょうか。

岩村:「二枚の明鏡が相対して照らし合うことによって一体となり、リアルな真実を捉えることができる」か。深い言葉ですね。
 本日は貴重なお時間いただきありがとうございました。

 

2件のコメント

  1. 2枚の明鏡…
    正義と悪かな?それとも自分と相手かな?
    事実と虚像?
    とか色々考えながら読みました。
    何れにしても、どちらも明鏡であり、それによって照らし出された真実を見届ける自分自身もまた、明鏡止水の心で在るのだなぁ、と清清しい印象を受けました。

    裁判という非日常的な空間で、そのスイッチが入るのか?それとも日常的に心がけているのか?
    坂本倫城さんのお話を、もっと聴きたくなりました(^-^)ありがとうございました。

  2. なかなか、裁判官からの話を聞く機会も待てないので、傾聴対談を興味深く読ませてもらいました。
    実際の裁判は、よくわからない世界です。ですが、同じ事件に対して、1審、2審で有罪無罪と真逆の判断がされたりしてるのをみると、人間の生活のいい悪いを人が決めることの難しさを感じていました。おかしいなとは感じるが、法の読み方、主張の仕方、あと裁判官で判断が変わってくるんだろうなと思う。対談を読んで、立場を変えて見ることを大切にしてることを知った。人を正しく判断をするには、裁判官自身が、武道みたいな道(どう)の世界を極めていく気持ちが必要なんだろうなと思った。
    自分が、めちゃくちゃエネルギーを奪われるような人との争いにならないためにも、他いろいろな場面でも、立場を変えてみることは、心地よく生きるのに必要なことだと思う。心がけようと思う。
    また、対談するのかな。。。楽しみにしてます😊

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