
6 誠実さと個人的な話
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傾聴をする時に誠実であることは欠かせません。「適当に流したな」とか「理解したふりをしているな」と感じられてしまったら傾聴がそれ以上深まらないからです。
1.不誠実さを感じる時
傾聴の最中に「不誠実だな」と感じるのはどんな時でしょうか?
1)早合点
理解していないことが伝わってしまうようなやり取りには注意が必要です。不誠実さを感じられてしまいます。
傾聴では「理解したつもり」になってもさらにじっくり、念のため話を聞いて、誤解してないことが確実だと思ってから反応をするようにします。「雨が降ったんですよ」「それはあいにくでしたね」「いや、とてもラッキーでした」のように良い話なのか悪い話なのかもよく分からない場合があります。しっかりと「この人は雨を良い話のたとえとして使っているな」と把握してから反応をするように心がけてください。
2)話を取られてしまう
話好きな人は勝手に話し手が伝えたいストーリーを歪めて別の話にしてしまいます。
傾聴は話し手のためにあります。聴き手が自分の興味や話したい気持ちに流されて、話をとってしまわないように注意が必要です。聴き手が勝手に連想ゲームをして話の筋を作ってもそれは話し手が話したい話とは全く違います。
2.個人的な話を聴く
対象者が何万人もいるようなキーワードに反応してはいけません。
例文のように「営業」を言うのは何を指しているかわかりません。「保険の営業」「不動産の営業」「芸能人の営業」では意味が違います。「保険の営業」でも「個人」「法人」では動きが違いますし、「生命保険」なのか「損害保険」なのかによっても違います。そして、営業所や上司との関係、どんなお客さんがいるかによっても大変さは全く違います。まだちゃんと説明しきっていない単語は「具体的には?」と質問して、その単語の中身を確認します。
答えが抽象的な間は質問を繰り返し、その問題は世界中であなたにしか起きていませんね!と思えるようなエピソードを把握することが大事です。その向き合う姿が「誠実さ」につながります。
1)「わからない」という反応を使う
話し手が伝えたいことは聴き手に100%理解できる内容とは限りません。「営業をしているんですよ」と言われた時に「なるほど!」という顔をするとそこで話が終わってしまいます。「ええ(続きがありますよね?)」という顔をすると話し手は「伝わらなかったかな?」と思ってより詳しい話をしてくれます。「具体的にはどんな営業ですか?」と尋ねても良いですが、「まだ理解できていません」という反応がそれと同じ結果につながります。
聴き手の様子を観察していると傾聴の最初は「話し手の意図を理解しよう」という態度が見て取れます。それが途中から「なるほどそういうことですね!」という態度に変わります。多くの人はこのステップが早すぎる傾向にあります。あと5分、「なるほど」を遅らせれば、かなり深い傾聴をすることができます。
2)受け止めてから質問を繰り返す
「具体的にはどんな?」と質問をしてもあまり具体的にならないことがあります。話し手は傾聴に慣れていなかったり、自分のことを上手に話すのが得意ではないこともあるからです。
「営業をしているんです」
「そうなんですね!どんな営業ですか?」
「もうかれこれ3年くらいになりますかね」
「(いやそうじゃなくて)で、どんな営業ですか?」
これでは営業の詳しいところがわかりません。「で、どんな営業ですか?」とすぐに聴きたくなります。が、それでは尋問のようになってしまいます。
相手の言葉をしっかり受け止めて、一呼吸おいてから同じ質問をするようにしてください。
「営業をしているんです」
「そうなんですね!どんな営業ですか?」
「もうかれこれ3年くらいになりますかね」
「3年になるんですね!どんな営業ですか?」
▼「誠実さと個人的な話」まとめ▲
ここでは「誠実さと個人的な話」についてご紹介しました。
- 誠実さと個人的な話
- 早合点
- 話を取られてしまう
- 個人的な話を聞く
- わからないという反応
- 受け止めてから質問を繰り返す
傾聴とは「話し手の主観的な世界観と気持ちを理解しチカラに変える事」です。
ページ下にあるコメント欄に「感想」や「質問」をお寄せください。
「オンライン傾聴講座」は皆さんとの交流によって作られています。よろしくお願いします。
「一旦受け止める」という点にとても納得しました。「3年になるんですね!どんな営業ですか?」のくだりは、たかがそれだけのことかもしれませんが、実際には話をスムーズにしやすくなる重要な姿勢だと思います。自然に身に付けたいものです。
自然に身に付けられたらいいですね。
私も誠実さを身に付けようと日々努力しています。
よかったら、一緒に成長していきませんか?
あなたの気持ちはわかる、よく耳にするセリフです。これは安易に使うべき言葉ではないと思います。
本当にわかっているかどうか疑問だとか、何で同じ経験をしていないのにわかるわけないよ、と言った反発を呼び起こしやすい言葉でもあるからです。
話を聞いて貰っている時に、話を聞いて貰えるのはありがたい、しかし不誠実な応対をされたらありがたさも消えてしまい逆に嫌悪感すら覚えてしまう事もありますね。
傾聴は話し手の為にあります、の言葉が身に染みました。例えば親しい間柄でいつもは気楽に話す相手だとしても、相談を受けたり、真剣な話をして自分が主に聞き手側になっている時は、この言葉をしっかりと噛みしめなければと思いました。
うちの夫が「話を取ってしまう」タイプで、話していても心から楽しいと感じることがありません。
このサイトを読んで勉強してほしいと思いますが、もともと気遣いの感覚がない人には理解するのは無理なのかとも思います。
「傾聴」は学べば誰でも身に着けることができるのでしょうか?
私は「傾聴」は学べば誰でも身に着けることができると思っています。
人は一人では生きてはいけないので、人との繋がりを求めながら生きていると思っているからです。
人との繋がりを持ちたいと思っている人なら、傾聴の理念を理解できると思います。
傾聴はスキルではなく、気持ちの部分が大きいと思っています。
旦那さんはもともと気遣いの感覚がないのかもしれませんが、それでも、別の面でkojiさんへの思いはきっとあるのかなと思いました。
傾聴事務局様、お返事ありがとうございます。まずは聴き切るということが大切なんですね。理解できない時は、なぜ、どうして、と掘り下げてみようと思います。
最後の1文もささりました。
話をどんなに聴いても自分勝手な価値観としか思えないときは、どのように傾聴したらよいでしょうか。
コメントありがとうございます
普段どうしているかなと思い返して3つヒントになりそうなことを思いつきました。
1.自分勝手な話を聴く
日常会話は少しかもしれませんが、相手に気を使ったり、空気を読んで整えた話をしています。傾聴はいわば、自分勝手で個人的な話を聴く場でもあるので、空気を読まずに自分勝手な話が出るものだと思って聴いていますね!
2.好感を持てる人に教わる
私は高校を経営してますが、我が子の話は受け入れがたいわがままに聞こえても他の家の子の同じ話は理解できることもあります。先日も子どもたちvs親たちの本音を聞く会をしたところ、他人の子が親の困ったところを話したり、他人の親が親の気持ちを話したりした場面でやけに納得した様子の参加者が多かったのを覚えています。
「なんで?」と聞いたら、「誰がお金払ってんだ?」「大きくなればわかる」とはぐらかさずに一緒に考えて欲しい。
親も子育ては初めてなので、かなり失敗して反省したり悩んだりしているのよ!
というような言葉が親たち、子どもたちに響いていたようでした。関係性の違う人や尊敬する人に教えてもらうと受け入れられることもあるようですね。オンライン傾聴講座には世界観を共有する会があります。これを受けるたびにストレスなくみなさん視野を広げているようですよ!
3.聴き切る
本質的には聴き切ることだと思います。自分勝手な発言しかできない人になってしまったことも、そうせざるを得ない理由があるはずです。1980年代にはマイホームを持つのが素晴らしく、できちゃった結婚はダメ、テレビやゲームには悪い影響がある
というようなことを信じて疑わない社会的背景がありましたが、今はミニマリストがいたり、おめでた婚という言葉があり、歩きスマホで大人でもゲームしていたりします。
1980年代の人が見たら驚くかもしれません。
1980年代の人が知らない、スマホや若者文化やインターネット、SNSなどを実感できるまで伝えないと今の社会にいる人の多くは、自分勝手としか思えないかもしれません。
同じ現代に生きていても感覚が違ってしまう人はいます。今、傾聴をしている目の前の人はサムライかも知れないし、宇宙人かも知れない。そう思ったら聴き切ることの難しさがわかります。そこまで聴き切ることが本来の傾聴の姿ですね。
サランさん!
一緒に色々な人の心の中の世界を見に行きましょう!慣れると理解しがたい人は面白いですよ。もし、サランさんか想像しているのが身内ならそうは言ってられないのだろうと思いますが。
自分とは全く違う世界観の話し手を心の底から受け入れるのは、私もまだまだ難しいかもしれません。
いろんな世界観を持つ人の話を聞いて、柔軟な心を持てるようになれたらいいなと思います。
私自身が、あまりうまく纏めて話せる方ではないので…受け止めようとして聴き手が繰り返してくれることは、有り難い反面、確認作業のようで息苦しかったり、本来話したかったことと違う展開を招くこともあります。それはそれで面白いですが…疲れるわりに虚無感が後から来ます。
ですので、自分が聴く側になる時には相手の話す間合いを確認するように目線や表情で返すか、深く頷く程度に留めています。
どうも「大変ですね」って言ってしまいがちです。
相手がどう思っているのか知るのが心の底で怖がっていて、自分の世界観で解釈して終わらせようとしているのかもしれません。
洞察が非常に深いですね。普段から愛情を持って人と接しているからこそ気がつくことなのかもしれませんね。
深い傾聴に慣れてくると社交辞令の言葉がほとんどだということに気づきます。自分の世界観に相手を招くのはとても怖いですよね。迷いが出てしまうと自分の世界観が壊れてしまうかもしれませんしね。