カウンセリングマインドのリスク

カウンセリングマインドのリスク

カウンセリングマインドという言葉をご存知でしょうか? カウンセリングマインドとは、カウンセラーのような態度や心構えの事です。カウンセリングだけに関わらず、教育、福祉、医療といった分野においても、このカウンセリングマインドが大切だと言われています。ここで言われているカウンセリングとは、つまりクライエント中心療法を指していますが、三要素である「受容」「共感」「自己一致」はシンプルではありますが、同時に複雑でもあります。例えば、本を読んで理解したと思っていても、実は正しく理解出来ていなかったり、実践出来ていない場合があります。それが、カウンセリングマインドのリスクの一つです。

1.知識ではなく実践

カウンセリングマインドとは和製英語ですが、その基礎がクライアント中心療法にあるのであれば、大事なのは知識ではなく実践です。座学を受けたり、本を読んだりしただけでは、身に付けられるものではありません。野球やサッカーなどであれば、練習をしないで上手くなる事など出来ない事は誰でも分かりますが、傾聴などは出来ているつもりなってしまう恐れがあります。
カウンセリングマインドが教育の分野において、非行や暴力といった過激な行動を取る生徒に効果がないという意見もありますが、果たして本当に適切な対応が出来ていたのか疑問に感じます。知識を得ただけで出来ていないだけなのに、カウンセリングマインドは効果が無いと判断してしまっている場合も多くあるのではないでしょうか。

2.シンプルだが単純ではない

シンプルを和訳すると単純になるようですが、この2つの単語にはニュアンスの違いがあるように思います。クライアント中心療法も、「受容」「共感」「自己一致」が達成されれば、クライアントは望ましい変化を起こすと、とてもシンプルです。このシンプルさが魅力ではありますが、単純だと勘違いさせてしまう事も多くあるように思います。クライアント中心療法を完全に実践するのは、とても困難な事です。その困難な中で、いかにしてより望ましい対応が出来るかを模索するかが、多くの方の実情ではないでしょうか。シンプルであるがゆえに、誰にでも簡単に実行できるものだと勘違いされてしまう事があるのも、クライアント中心療法のリスクであるように思われます。

14件のコメント

  1. カウンセリングマインドって、
    何がいい、正しい、間違っていると判断するのではなく、どんな感じでも、〇〇な感じがいい、今〇〇な感じなんだねって、相手のことを思うことかな。

    1. 判断、ジャッジしてしまったら、それはカウンセリングマインドでは無さそうですよね。

  2. カウンセリングマインド スキルではなく、マインド🧚‍♀️なんですよね…
    非行や暴力にカウンセリングマインドは効果がないとすれば、その対応は、罰☠️ということになるのでしょうか? 悪いことをする子どもには、罰を与えて恐怖を感じるようにすることで、変えていこうということなのでしょうか?
    非行や暴力とは、少し違うとは思いますが、障がいのある人たちの中に、強度行動障がいとよばれる方たちがいます 他害、自傷、物を壊すなど、周りの人と一緒に生活することが困難になるくらい、行動面の問題がでている人たちです その方たちの改善は、罰で変えていくのでしょうか?
    それは違うと思います いろいろな考え方があるとは思いますが、やっぱりその介入のためのスタートは、その人の好きなこと、困ってること、したいことなどのその人そのものを、本気で理解することだと思います 障がいのある方の中には、わたしの経験や感覚とは全く違う世界を大切に思っていることもあります 例えば、本📚のしまい方に必ず順番があるとか、スリッパ👡を置く角度が几帳面に決まっているとか… これが、「こだわり」と言われるものだったりします わたしにはどうでもいいことだし、それがわかっても、「わたしもそうなんです」とは思いません むしろ、「えー そこ???」と思うことも多いです けれど、「へぇー そうなんだぁ」と本気で関心をもつことはできるし、実際、本気で思います その感覚が、「受容」「共感」「自己一致」の感覚と近いのかなぁ🧚‍♀️
    そこにたどり着くと、次の一手がうてることは多いですね😊
    でも、出会った障がいをもつ方の中には、最後の最後まで、理解してあげられなかったという悔いの残る方もいます
    カウンセリングマインド 本当になんだろう? わかるようになりたいし、わからないと思ってる方が嘘のないところなのか そんなふうに記事を読んでみました ありがとうございます🌼

    1. そうですね。非行や暴力には、厳格な対応をすべきという意見もありました。罰なども時に必要かもしれませんが、カウンセリングマインドに即した対応が効果が無いという事には疑問を感じます。どこかで、コントロールしようという部分が入っていたのではないか、と。それでは、見抜かれて反発しますよね。
      カウンセリングマインドもクライアント中心療法も、本当に理解するのは難しいです。でも、理解したいと思って、模索し続ける事が大事なのかなって思っています。

    2. イルカ男さんへ
      「厳格な対応」という言葉から、「毅然とした対応」という言葉を思い出しました。「悪いことは悪い」という毅然とした対応は、とても大切だと思います。それと同時に、そうせざるを得ない理由に思いを馳せることができるアンテナを持っていたいという感じかもしれません。「厳しいけれど、わかってくれる人」のイメージです。表面的に優しいことが、カウンセリングマインドではないし、信頼の得られる態度ではないなと・・・。子どものことを思って「厳格な対応」「毅然とした対応」している側で、子どもの人気をとるかのように優しく「わかるよ」なんて言ってるのは、「偽のカウンセリングマインド」って思います 🌼

    3. たんぽぽちえさん、おはようございます(^-^)

      まずは…以前どこかのコメントで返信したのが、うまく投稿出来ていなくて、どこだったかわからなくなって…放置している風になってしまいました。その節はごめんなさい_(._.)_
      ありがとうございました(^-^)

      そして今回の本題、私にもカウンセリングマインドが何たるかはわからないのですが…マインド・心(ここは相手を想う、信じる心?かな?)を伴わない罰や行動規制は単なる恐怖支配になるのかなあ、と思いながら読んでおりました。

      非行や暴力など、いわゆる反社会的な行動の裏を理解することは、容易ではないですよね…。自分の中や一般社会における正義やルールが、相手の中では最低な悪であったり、相手の中の最高の正義が殺人など社会悪だったりする可能性も考慮しておくと少し見方が変わるかもしれません(^-^)
      何者でもないのに偉そうにすみません。

    4. 平賀佳奈さんへ
      わぁ 再会😊 ありがとうございます💕
      「恐怖支配」 そう、それが嫌なのかもしれない 「恐怖の厳しさ」と「カウンセリングマインドのある厳しさ」 何が違うのかなぁ? 厳しくしている人の軸足が違うのかもしれないと思いました 軸足が、立場やプライド、ルール、常識にあるのか、あくでも子どもの未来や力を信じることにあるのかの違いなのかなぁ 子どもと接するとき、「厳しさ」というのは、ある意味とてもエネルギーが必要で、かかわる側にもストレスがかかります でも、本気でそのエネルギーを注いだときに、子どもが変わっていくことがあるように思います 問題行動や反社会的な行動という表から見える彼、彼女らの内面に向き合い、「ほんとのあなたは何をもとめているの?」「ほんとのあなたはどうなりたいの?」「ほんとのあなたにはどんな力があるの?」「ほんとのあなたにはどんな夢があるの?」 それらをかかわる大人が本気で思ったときに、絶対に超えさせてはいけない枠を本気で示さなければならないことがある それが、「カウンセリングマインドのある厳しさ」なのかもしれないなぁと思いました
      あるカウンセリングの研修で、「自分は厳しいからなぁ」とある男性の方がおっしゃっていました 普段は「うるさい」と言って、あまり話を聞かないのだそうです 一緒に研修を受けている私にも、オラオラ〜的な😅 でも、その方、そうして私のキャラを引き出してくれてるのがわかるので全く嫌でなかったし、いざとなったら、絶対に子どもの立場に立つ人だなぁというのが伝わる方でした 受け止めるよオーラを安売りしない感じ 現場のその方を知らないので、実際のところはわかりませんが、すてきだなって思ったのを思い出しました🧚‍♀️ これも、カウンセリングマインドの一つのかたちではないかと…

      こうして考えると、「カウンセリングマインド」は、表に見える部分に惑わされることなく、その人を尊重することなのかなぁ その表し方は、いろいろ だから、とっても難しい

      答えは、わからなかったけど、考えた💮
      ありがとうございましたー🌼

    5. たんぽぽちえさん、ありがとうございます(^-^)

      ふむふむ…(^-^)厳しさの軸足の幅?なのかな?と思いながら読んでおりましたが、取り違えていたらごめんなさい_(._.)_

      軸足が自分の足元や、ちえさんの言うように立場やプライドを守る範囲しか及ばなければ…
      保身のために恐怖をもって支配するしかないかもしれない。

      または、自分自身が相手の軸足に成り代わろうとしてしまうとき、恐怖や依存的な厳しさになるのかな、と思います(*ov.v)o

      まずは、きっと…相手の中に光るモノをいち速く見つけ、光るモノの欠片を、うまく軸足として機能するように一緒に組み立てるような感じかな?(^-^)ルール設定を守らないと、軸足は完成しないから(^o^)

      たぶん、とんちんかんな方向に話を拡げてしまったような気もしますが…楽しかった♪(^-^)
      ありがとうございます(^-^)

    6. 平賀佳奈さんへ
      光るものの欠片✨ すてきな表現
      たのしかった♪ って言ってもらえて嬉しいです😃
      こちらこそありがとうございましたー🌼

  3. かずさん、いいお父さんですね!
    イクメンなどと最近もてはやされたりしますが、何のためのイクメンなのか。単にそう思われたいだけでうまくいかないと子供にあたる父親は以外と多いように思います。
    生まれ変わったら、かずさんの息子になりたい^ ^

    1. なんと嬉しいお言葉を!^_^
      傾聴寅さん、ありがとうございます!
      なんて言ってますが、息子のホントにヨチヨチの頃は、思うに任せない時に、どうしてできないんだ!ってやってしまってましたよ。。でもすぐ謝ってましたけど。酒乱の暴力オヤジがシラフになった時のようで恥ずかしい。。
      親父には本当にかなわない!
      ってホントは今でも言いたいんですけどね。。自分のダメを見せざるを得ない時間を共有したことで、ゴマカシは通用しなくなりました😅
      でも、ともすれば、聖人君主のように振る舞い、専制的に息子をコントロールしようとしかねなかった昔の自分を振り返ると、これで良かったのかなと思っています!^_^

  4. 正に知識ではなく実践ですね。
    全然違う話ですが20代の時、未だ見ぬ将来の息子の(勝手に息子と決めつけ。。正解でしたが)良き父親となるには?と勝手にイメージを膨らませて、アウトドア活動に通じた男になろうと思った時がありました。キャンプ道具を買い込んで、ログハウスの作り方を勉強し、カヌーか?いや、サイクリングか?と。。
    ある日気付いたんです。知識と道具とイメージは増えたけど、体験は全然伴っていないなと。だから友人とキャンプに行ってもウンチクばかりで動けない邪魔者で、少し楽しくなくなったりして。。
    知識が要らないことはないんです。でも体験と同時に知識を身につけていかないと、こんな滑稽な状態も作り出してしまうのだと、未だに繰り返してしまいそうになる自分への自戒です。
    さて、息子に対して、アウトドアでワイルドな男として振る舞えたか?
    むしろ、ヘタレだけど一生懸命やってる姿がいいと言っていたし、一緒に手伝えてご飯食べたり焚き火したり楽しかったよと先日息子の口から当時のことを聞きました。
    知識も技術もあった方がいいのは確かですが、その前に目の前には心通い合える相手が居るということなのですね!^_^

    1. そうですね。知識だけでもダメ。体験だけでもダメ。バランスが大事なのだと思います。
      それにしても、とてもステキなお父さんですね。ほっこりしました。

    2. カウンセリングマインド
      言葉は簡単ですが中身はひじょ〜に難しいですよね。
      「ヘタレだけど一生懸命やっている姿がいい」という息子さんからもカウンセリングマインドを感じます。そんな息子さんがいるから親も「良かった」と実感できるのかもしれませんね。

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